合唱組曲「山に祈る」
作詞作曲:清水 脩
手記を読む(PDF) “山に祈る”という合唱組曲は、もともと男声四重唱と小管弦楽のために書かれたものですが、 現在では、移調などをして多人数の合唱団用に改編されています。

昭和34年秋、長野県警察本部では、山での遭難の頻発に業をにやして、 遭難者の遺族たちの手記を集めた「山に祈る」という小冊子を発行して遭難防止を訴えました。
ダーク・ダックスは、その巻頭に載った、上智大学山岳部の飯塚陽一君の遭難を、同君の残した日誌と、 同君の母親の手記によって一遍の合唱組曲につくる企画を立て、作詞作曲を清水脩氏に依頼しました。
作者の清水脩氏は、次のように語っています。

一遭難者が書き残した最後の手記と、我が子をなくした母親の朗読と歌とで進めたものであるが、 曲はできるだけポピュラーなものにしようと努めた。
誰もがすぐに口ずさめる平易なメロディーで埋めた。 主人公の元気な姿から死にいたる筋に合わせて、明るい曲調から次第に暗い曲調へと移ってゆくようにした。
雪山登山とその遭難について、できるだけうそのないものを書きたい。 また私自身の山への思慕も盛った。
そしてこの曲が頻発する山の遭難防止に少しでも役立てば、作者として望外の喜びである。
合唱組曲「山に祈る」
【前 奏】

「山 の 歌」

l 山よ お前のふところは 山の男のふるさとよ
   うれしい時は山へ行くさびしくなれば尾根歩き

2 山よ お前は愉しそう ピークで呼ぶヤッホーを
  忘れずすぐにこだまして 山の仲間と呼びかわす

3 山よ お前のあで姿 岩場、革つき、雪渓も
   みんなお前の肌の 抱いてもみたい肌ざわり

4 山よ お前はもの言わぬ けれど代わりにぼくたちが
   明日はいよいよアタックと ヒュッテの便りしておこう

5 山よ お前が隠しても 歯をむくようなガレ場なら
   それがお前のしぶい顔 雪崩が残した爪の跡

6 山よ お前の優しさは テラスの空の星のように
   テントの窓からしのびこむ 小屋の窓から降ってくる     

7 山よ お前のきびしさは 鵜と雨との捲き返し
   風と吹雪のうなり声 おそう白魔の大雪肋

8 山よ お前よさようなら たき火の煙消えないで
   林をぬけて頂上へ 別れの言葉 告げてくれ

9 山よ お前よいつまでも ぼくはお前を忘れまい
   お前もぼくを忘れずに お前もぼくを忘れずに

【間 奏】

(朗読)
  誠!誠!
    母さんの手のひらにしっかりと握っているのは、
     いつもお前が山へ持ってゆくお前の手帳です。
    お前の手垢でよごれ、お前の体臭がしみこみ、
     アルプスの雪にぬれてぼろぼろになったお前の手帳です。
      右肩上りの、少しばかり乱暴な字。

【間 奏】

(朗読)
    あれからもう一年経ちました。
    あの日、庭の梅の花が咲いて、春を告げていました。
     あと二日経てば、お前が山から帰ってくるはずなので、
      母さんは、お前の机の花びんに押しておこうと、
       梅のひと枝を折りとっていました。
    お前の可愛がっていたコロ、お前に一番なついていたコロは、
     母さんの足もとでじゃれていました。
    その時です。忘れもしません。ほんとうにその時でした。
     一通の電報が、母さんを地獄の底へ突き落してしまいました。
      手にした梅の枝をとり落としたのにも気付かなかったのです。
    母さんの心の中のものを、何もかも一どきに変えてしまったのです。
     遭難。お前が山で遭難したのです。

【間 奏】

(朗読)
    (手帳を読む)
    三月二日。十八時新宿駅集合。
     外の時は平気で遅れてくるヌーボー倉田も、山となると時間厳守。
      先発隊十二名は三日前に出発しているので今は倉田と二人。
    いつもの事ながら二人とも重いリュックだ。

「リュック・サックの歌」

リュック・サック リュック・サック
肩に食い込む重さでも 山の友だと思えば軽い
背中にずっしりかからばかかれ
踏みしめ登る急坂も リュックがあれば気がはずむ

A「お前のは重そうだな」(第一テノール)
B「うん、三十キロはたっぶり」(第二テノール)
C「忘れものはないだろうな」(バリトン)
D「チョコーレートならもっと持ちたいよ」(バス)

リュック・サック リュック・サック
中味は何だときかれても 数え切れないこの重装備
背中にずっしりかからばかかれ
あの山この山なつかしい リュックにつめたい思い出よ

(朗読)
    (手帳を読む)
    三月三日。快晴。桃の節句。ここ十日ばかり晴天つづきとのこと。
     順子はおひな様を飾ってもらっている事だろう。
    十七時二十分、中房温泉着。

【間 奏】

    (手帳を読む)
    ヌーボー倉田は、中房へ着いて間もなく吐き気をもよおし、
     二度ほど吐いた。
    明日は牛首コルの前進キャンプへ。二十時就寝。

「山小屋の夜」

満天の星 凍る夜気
山々はくろぐろと   
雪に埋もれた小屋を包む

カンテラの鈍い光
リュックを枕に、重い足を
長々と伸ばして眼をつむれば
 
「沢で飲んだ水のうまさ」(第一テノール)
「額を流れた汗の玉」(第二テノール)
「振り仰いだ空の空の青さ」(バリトン)
「銀色に輝やいた…石壁
 元気づけてくれた友の声」(バス)

あれも これも まぶたの奥に
揺れるように映る。
明日も晴れてくれ。

(朗読)
    (手帳を読む)
    三月四日。昨夜はあまりよく眠れなかった。
  ヌーボー倉田はやはり具合が悪いのでゆくのをやめる。
     ぼく一人でみなの後を追う事にきめる。
      午前六時十分。中房出発。十一時半燕山荘に着く。
    あと四時問でみなに会える。ラジオでは天候がくずれるかも知れぬという。
   でも、牛首までは慣れたルート。

「山を憶う」

なぜ 山を憶うのか
山は神秘だから。

なぜ 山を慕うのか
山は優しいから。

なぜ 山に挑むのか
山はきびしいから。

怒れば巨人となって
人間の智恵を打ち挫き
ほほえめば乙女となって
汚れない愛を降りそそぐ

【間 奏】
  
(朗読)
    (手帳を読む)
    早くみなに会いたかった。大天井まで来る。キャンプは近い。
     吹雪でトレースわからず。十六時、ビバーク地探す。
      山の天候のカンをあやまったようだ。きょうはビバークか。


なぜ 山へ登るのか
山がそこにあるから


「吹雪の歌」

吹雪 吹雪 吹雪
引き裂き うなり
 噛み挫き のたうつ
白い悪魔の雄たけび
 白い巨人の咆哮。

吹雪 吹雪 吹雪
逆まき 狂い
 圧しつぶし 噴き上げる
白い悪魔のかちどき
 白い巨人の怒号。

「吹雪、それは
  山の怒りにふれたアルピニストの
  墓標のかげに立ち現われ、
  牙をむいて雪崩の巣をつくり、
  死の眠りを誘い、
  誇らかに人間を嘲笑う」(バス)


(朗読)
    (手帳を読む)
    三月五日。午前七時十五分。依然として吹雪おさまらず。
    昨日の五時より十四時間と十五分たった。
     昨夜は六時間位眠ったが、場所がよくないので寝苦しかった。
      寒い。
    明け方から腹の方が体温でぬれてきた。
     今朝、ビタミン剤五ケのむ。食欲はない。
  乾パン十枚あるから倹約して食うつもり。
     ハムはシラーフの下なので出せない。

【間 奏】

(朗読)
    母さんは誠と心の中で呼んだだけで、もう胸が苦しく、
     悲しみに押しつぶされそうです。
    大学の卒業を眼の前にして、就職も決ったというのに、誠は逝ってしまった。
    悪夢なら醒める事もありましょう。
    「お母さん、只今!」という元気な声が、今にも戸口から聞えてくるようです。
     お嫁さんや結婚式場のことまで想像して、
      母さんの胸は幸福にふくらんでいました。
    だのに、だのに………(托き伏す)

【間 奏】

(朗読)
    (手帳を読む)
    十二時二十五分、依然、吹雪はげし。この吹雪は永くは続くまい。
     明日はよくなろう。寒い。がまんが大切。
      シラーフもシラーフ・カバーもぬれている。下半身ぬれて苦しい。
    十五時十五分。吹雪おとろえず。視界きかず。
     なぜ一人で無理をしたのか。−(間)−
  下半身凍って動かない。−(間)−
     お母さんのことを思うとどうしても帰りたい。


「お母さん、ごめんなさい」

お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい
ゆたか、やすし、順子よ、すまぬ。
お母さんをたのむ。


【間 奏】

(朗読)
    (手帳を読む)
    手の指、凍傷で、思うことの千分の一も書けず。
     全身ふるえ。
      ねむい。

お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい
さきに死ぬのを許して下さい。

【間 奏】

(朗読)
    (手帳を読む)
    (激して)山でうぬぼれず、つねに自重すること。(泣き伏す)

お母さん ごめんなさい
やさしいお母さん ごめんなさい